6月のラブソング

ご贔屓は大空祐飛さんと蒼羽りくちゃん。永遠にスペシャルなのは本山雅志選手。そんなももたが日々のよしなしごとを自己満足気味につづる日記です。

2017-04

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河野裕子さんのこと

もう、少し日が経ってしまったのですが、8月12日、歌人の河野裕子さんが永眠されました。

実は、河野さんとは、2年ほど前から、ご一緒に仕事をさせていただいていました。
予断を許さない病状であることは分かってはいたのですが、こんなに早く逝ってしまわれるなんて・・・。
今も、彼女の歌や原稿を読み返すと、涙があふれてきて仕方ありません。


文芸担当になるまでは、現代短歌については全く疎かった私。
河野さんの歌を初めて知って、40年近く前に、こんなに瑞々しい歌を詠んだ女性がいた、ということにまず衝撃を受けました。

第一歌集『森のやうに獣のやうに』の中のこの歌

 たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか

はあまりにも有名ですが、いま読んでも、恋のはじまりのときめきや高揚が手に取るように伝わってくる、素敵な歌ですよね。大好きな歌です。

歌の中の「君」は、夫君で同じく歌人・生命科学者でもある永田和宏さん。
彼の第一歌集『メビウスの地平』の中にある

 きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり

 動こうとしないおまえのずぶ濡れの髪ずぶ濡れの肩 いじっぱり!

などの歌を併せて読むと、若いころのお2人が相聞歌のように互いに歌を詠み合い、歌人としても競うように伸びていく様子が目に浮かびます。

原稿の打ち合わせなどでお2人にお会いすることもたびたびあったのですが、本当に仲の良いご夫婦で。
長身の永田さんと比べると、河野さんは本当に小柄で可愛らしい方なのですが、いつもパワフルで真っ直ぐで生命力にあふれていて。
ポンポンポン、と何でもものをおっしゃって、そんな河野さんを永田さんが一歩下がって穏やかに見守っている、という印象でした。

先日、朝日新聞に掲載された道浦母都子さんによる追悼文に、「ストレートな激情の人」であり、「友人として、全面的に受容できるタイプではなかった」とあるのを読んで、なんという正直な追悼文なんだろう、と思わず感心したのですが、確かに、河野さんには、独特の押しの強さというか、ある意味空気を読まないというか、自分が正しいと思ったことを決して枉げない烈しさがあって、圧倒されることも多く。
でも、何をおっしゃっても憎めない愛らしさ、のようなものも持ち合わせておられて。
まさに、詠まれる歌の通り、真っ直ぐで大胆でつよくて、そして、家族や周囲に対する愛にあふれたひと。
それが、私が、わずかな間ではありましたが側で見た、河野裕子というひとでした。

2008年夏に乳がんの再発が分かってから、河野さんの歌には、生と、きたるべき死を見据えた歌が増えてきて。

 一日に何度も笑ふ笑ひ声と笑ひ顔を君に残すため(『葦舟』)

一方で、細胞生物学者であり、妻が乳がんであること、再発したことの意味を誰よりもよく理解していただろう永田さんの歌は悲痛でした。

 歌は遺(のこ)り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る

この数カ月、病状が深刻になってきても、河野さんの仕事量は全く減りませんでした。
来年1月の「歌会始」の選歌をはじめ、新聞歌壇の選歌(選歌という仕事は、送られてくる膨大な歌のすべてに目を通し、そこから自分の感性だけを頼りに秀歌を選ぶという大変な作業なのです。「歌会始」の場合、何万通と応募される歌すべて目を通すのだそうです)、エッセイ、講演会など・・・。

ご本人は「歌を詠むこと、ことばこそが自分の生を支えてくれる」と精力的に活動されていましたが、正直、ここまで自分の身を削るようにして歌を詠まなければいけないのか、それが歌人の業というものなのか、と見ていてつらく感じるほどでした。

そして、それを一番近くで見ている永田さんも。
家族としてはきっと、少し仕事を控えて体を休ませてほしい、と思わずにはいられないはずなのに、歌人としては彼女が一首でも多く歌を詠むために全力を尽くさずにいられない。
どれだけの葛藤を乗り越えて、彼が妻を支えているのか、と思うと胸が痛みました。


ここ数カ月は、電話やファクスのやりとりだけで、直接、お目にかかることはできませんでした。
最後にお声を聞いたのは、5月、いや6月の初めだったでしょうか。お電話で、その時はまだお声は昔のままだったのですが。

担当する最後の原稿をいただいたのは、亡くなった当日、12日の昼過ぎでした。
「実作教室」という、短歌を投稿する人たちに向けて、実技的なアドバイスを書いていただく欄なのですが。

冒頭の1行に目を通した瞬間、涙があふれました。

 私の病状を考えると、この「実作教室」を書かせていただくのはこれが最後になると思います。



・・・これは遺書だ。読者への、わたしたちへの遺言なのだ。

そう思いながら読み進めると、涙が止まらなくて。
直属の上司(彼女自身も河野さんとは長年、一緒に仕事をしてきて私以上に親しかったのですが)に「まだ泣くな!」と叱責されたのですが、どうしてもだめで、しばらくトイレに籠もり、嗚咽してしまいました。

それは、投稿している人に向けて、「採用されるかどうかは相対的なもので、落ちたからといってその歌に価値がないわけではない。作った歌は大事に残してほしい」と語りかける内容で。

最後の段落は、こう締めくくられています。

 ・・・私はもう五十年近くも歌を作り続けてきましたが、歌を作ることによって自分という存在があったのだということを強く感じるようになってきました。どんな時にも、どうぞ作り続けてください。最後にこのメッセージを皆様にお伝えしたいと思います。




永田さんが主宰、河野さんも選者を務める結社「塔」の8月号に、直近の歌が掲載されていました。

 誰もみな死ぬものなれど一日一日(ひとひひとひ)死までの時間が立ちあがりくる                                       河野裕子

 昔むかし出あつた頃より軽けれど昔のやうには抱きあげられない
 
 コスモスを踏まないでとまた声が飛ぶ背に聞く声は昔の声だ    永田和宏

永田家のお庭には、河野さんがことのほかお好きだったコスモスがたくさん育っています。
今年はもう咲いているのかしら。
ご自宅で息を引き取られた河野さんの目に最期に映った景色が、愛するご家族のお顔と、揺れるコスモスの花であったならばいいのに、と心から祈ります・・・。

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プロフィール

ももた

Author:ももた
2005年5月からしばらくの間、演劇に関する文章を書くお仕事に携わっておりました。
(現在は別のジャンルの文章を書いております)
2006年5月、仕事で観劇した月組公演「暁のローマ」でカシウスに堕ち、坂道を転がるように現在に至ります。
タカラヅカとの出会いから立派なヅカヲタに至るまでの詳細は、ブログ内の「ゆうひさん堕ちの軌跡」全3回に書いておりますので、ご参照ください。
現在は、俳優としてのゆうひさんをまったりマイペースで愛でつつ、宝塚を中心に興味のある舞台を観ています。

2016年8月、9年前の初舞台から密かに(?)愛でてきたりくちゃんに、本格的に囚われていることをやっと自分で認めました。
これからはおおっぴらにファン道を歩きたいと思います(笑)

モトサポ歴は16年余。
何があろうと「モトヤママサシ至上主義」です。
同時に79年組を偏愛してます。
黄金世代は永遠です。
モトが18年在籍したクラブへの愛着はありますが、2016年は鹿観戦は少しお休みし、初心者ギラヴァンツ北九州サポとして一から勉強する所存です。

ヅカネタもサカネタも、基本的にミーハーかつフジョシ目線で語っております。
NGな方はスルーをお願いします。

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